過度の一般化
「くまちゃん!お金が全てじゃないわ!」と言ってあげたいですが、くまちゃんの価値観はお金を基準に作られているので何を言っても響かないでしょう。これは金を学歴やルックス、キャリア、結婚や友達の多さなどに置き換えても同じです。「女性の幸せは結婚だ」「顔が良くないとモテない」「人は嘘をつく生き物だ」。これらを判断の一要素に置いてる分には問題ないですが、それを前提にしていると「あーやっぱりだー!」と、事あるごとに自分を傷つけることになりますし、自分の人生は自分でコントロールできないものと無力感に襲われ不幸を感じる思考回路が増長します。
金があっても幸せになれない
恐らく、くまちゃんは100万円あっても「お金が無い」と言うでしょう。幸せになれないのはお金が無いから、お金がないから幸せじゃない。でも、今ここにある幸せに気づくことが出来なければ、いつまでも気持ちはスッカラカンです。幸せは外から運ばれるものではなく、気づいて自分を充たすものです。さらに言えば、いつも不幸な顔して「お金が無い!」と言っているような女性にお金持ちの男は近寄ってきません。残念ながら。
自分の人生をコントロールする
幸福の条件の1つは、自分の人生を自分でコントロールする幅があることです。自分で食べたいものを食べることができる。好きな仕事をすることができる。会いたい人に会える。こうしたコントロール出来ることが無いと、人は過食や拒食で体重をコントロールしようとしたり、買い物で身の周りをコントロール、さらには自分を傷つけることで命をコントロールするに至ることもあります。不幸を感じる思考回路を育てることができるなら、逆に幸せを感じる思考回路を育てることもできます。いま自分が持っていることに気づくこと、それは小さくて到底受け入れがたいかもしれませんが、そうした小さなものに充たされていることに気づかなければ、お望みの大きな幸せに気づくことはできません。繰り返しますが、幸せはなるものではなく気づくものなのです。あるものに気づくことは、出来ることに気づくこととイコールです。今の自分が出来ること、自分が充たされていることに気づけば気づくほど、自分の人生をコントロールする幅を拡げていくことが出来ます。